• 2021年4月7日 - 80

    無題

    我々は感覚と、感覚のベクトルと、その消失点で、事物を視ている。事物自体あるいは事物の内奥はその消失点にある、と我々は予測している。我々は事物には直接は触れられない。我々が触れられるのは消失点に向かう感覚のベクトルなのだか […]

    Read More
  • ■ネゲントロピーについて ・生命は固定的なものではなく、流動性の中で自ら(という「ある境界面よりも内側の現象群」)を維持形成し続けるもの。 ・生命とは、外部と繋がり、外部と自己とで熱を交換し続けなければ、自己を維持できな […]

    Read More
  • 2020年5月13日 - 80

    習作2

    習作1を推敲しただけ。良くなったのかダメになったのか分からぬ。。。 1.認識の昏さ わたしたちは、わたしたちが得られる知識や経験からは、けっしてわたしたち自身を根拠づけられない。これはけっして命題になり得る表現ではないが […]

    Read More
  • 2020年5月7日 - 80

    習作1

    今なら何か書けるか、書き始められる気がするので書いてみる。気のせいかもしれない。たぶんしばらくはぐじゃぐじゃしたものを書いている。 私たちは、知識や(身体の外部の出来事を見たり聞いたりといった)外的な経験からは、けっして […]

    Read More
  • 2020年4月16日 - 80

    音楽 その23

    Read More
  • 1つには、真の身体とはいっても、それは特別なものではなく、おそらくは、1つのシステム(こういう用語で良いのか分からないが、例えばシステミックな、自己創発的な)であり、あるいは自己組織化的な振る舞いもするシステムの「根のよ […]

    Read More
  • 死は、私たちを消去する。死は、認識の死なのだが、それだけでなく、認識が生起してきた昏さのうちの一定領域の死でもある。それはつまり、我々なるもの/私なるものの認識が、二度と再び生起してこないであろうことを告げるものだ。。。 […]

    Read More
  • 私たちの根とは「知覚や感覚以前の自らの状態」だ。あるいは「知覚形成や感覚形成以前の自らの状態」といっても良い。これが発生の領域であり、解体の領域でもある。知覚や感覚が形成される以前の状態なのだから、その状態は知覚や感覚が […]

    Read More
  • 2020年4月12日 - 80

    アクセシビリティについて

    すべての事柄のなかで、おそらく最も重要なことの1つはアクセシビリティだ。それは何らかのものへのアクセスが可能だという事だ。あるいは何らかのものへのアクセスが閉ざされていないという事だ。 その何らかのものは何でも良いのだが […]

    Read More
  • 2020年4月3日 - 80

    心について

    我々生物が生化学的な沸き立ちなら、心というのは、少なくともその状態を評価する機能全般として、生物の成り立ちとともに形成されてきたものであるように思う。それはもしかしたら、生物の萌芽的な状態からあったのかもしれない。つまり […]

    Read More
1 2 3 22