2018年1月7日 - 80

メモ:言語、非言語、シーケンスについて

先の記事で書いたシーケンスヘッダ、シーケンスボディ、シーケンス、辺りの話っす。知り合いとのやり取りから抜粋。例によって一部改変してます(*_ _)


このブログは手探りしながらメモしてく、みたいなスタイルで、書いてる本人以外には全く分かりづらいと思います。俺はこのスタイルでないと何かにリーチできないと思うので、このスタイルが好きなんですが、読む人に優しくないやつでして。。。

なので例のシーケンスの話については以下に簡単に説明します。ただこの捉え方はあくまでも暫定的なものだと思います。説明して(俺が)分かったつもりになってもそんないいこと無いというか。結構強引なとこがあるので。。。(/ω\)

■基本的な考え方

あるシーケンスは次のシーケンスを示唆する、あるいは、シーケンスヘッダはシーケンスボディを示唆する、って考え方です。後者の捉え方でいって、[シーケンスヘッダ][シーケンスボディ]あるいは[H][B]って書いてみることにします(例えば[花の見た目][(花の見た目から連想できる)花が引き起こすあんな事やこんな事]みたいな感じです)。

これは例えば免疫機構においては、免疫機能を誘発する病原体だと[H:特定のタンパク構造][B:有害な何か]というメッセージになってるかもです。で、[B:有害な何か]が来たら困るから、[H:特定のタンパク構造]が来た時点で免疫ネットワークはその機能をリリースする、って感じです。

これに対してある種のアレルゲンは、[H:(病原体と同じような)特定のタンパク構造][B:空っぽで無害]、みたいな感じだと思います(実際がどうかはよくは知らないですが)。[B]は病原体の様に働くものでないのに、[H:(病原体と同じような)特定のタンパク構造]があるから、それを検知して免疫ネットワークはその機能をリリースする、って感じです。

何いいたいかというと、あるタイプの生体ネットワークは、あるメッセージの特徴(シーケンスヘッダ、[H])を捉える事で、次に起きること(シーケンスボディ、[B])に対して連想的に振る舞う場合がある、って話の例です。

■非言語

[H][B]がひたすら連なっていく感じです。踊りのステップみたいなもんすね。あるステップが連想的に次のステップを示し、次のステップもまた連想的に次の次のステップを示し。。。みたいな。そして時には示唆と違うステップが踏まれたり、間が取られたり、速くなったり遅くなったり、みたいな。ちなみにある時点での[B]は、シーケンスボディそれ自体でありながら、次のシーケンスも示唆するので[H]としても働く、みたいなイメージです。これが連想的に(無数の方向に)連なり、押し合い圧し合いしながらシーケンスと示唆を伝播させてくような感じです。

ちなみに[H]がある程度分かりやすい示唆を示しつつ、[B]において示唆と同じ、あるいは示唆と違うステップが踏まれる事は、その背景になんらかの理由(より深い層で起きているシーケンス[B])があるのでは、という事を示し得ると思います。この「背景にある理由[B]」をどのように伝えるか/伝わるか、というのは生体同士のコミュニケーションにおいて非常に重要だと思います。

なぜなら最終的な背景にある理由[B]がどのようなものなのか、というのは、おそらく生体同士のコミュニケーションにおいて最大の関心事の一つだからです。一番下の卵子の例は微妙かもですが、おそらく生体における内在的エネルギー/内在的機構のリリースというのは、表層的な一つの[H]や表層的な一つの[B]で作動するのではなく、無数のシーケンスから示唆される、そのシーケンスの背景にある[B]が信頼できるものだ、という連想をトリガーとして動作するものだと思います。

■言語

[H][B]がひたすら連なるか、あるいは[H][H][B]あるいは[H[H][B]]、というカタチを取ったものがひたすら連なってるイメージです。例えば[花という言葉][(花という言葉から連想できる)花の見た目][(花の見た目から連想できる)花が引き起こすあんな事やこんな事]あるいは、[花という言葉[(花という言葉から連想できる)花の見た目][(花の見た目から連想できる)花が引き起こすあんな事やこんな事]]みたいな感じっす。

で、言語は実物がなくても組み合わせたり操作出来たりするので、[花という言葉][空っぽ][空っぽ]あるいは[花という言葉[空っぽ][空っぽ]]というのもあると思います。会話ってのはこの[言葉][空っぽ][空っぽ]をやり取りしながら、その重なりの中にある実体[B]を示したり(例えば「昨日雨が降ったよ」「そこに消しゴムがあるよ」とか)、あるいは[H]の連続や断絶のうちに、その行為の背景/理由となる[B](例えば『私はあなたが好きです/嫌いです』という暗黙のメッセージとか)を示したり、ってものかなーという気がします。あくまでもこの見方に沿えばですが※1。

※1:また、文化というのはこの[H][H][B]の世界が、[H][B]の世界に対して(あるいは[H][H][B]と[H][B]がゴタマゼの世界のうちに)どのような構造や配置を取り得るか、というのをゆるやかに規定したルールの集合体、といってもいいと思います。ただこういった文化においても重要なのはやはり、[H][H][B]のやり取りのなかに、あるいは[H][H][B]と[H][B]とがゴタマゼのやり取りのなかに、その奥にある[B]が示唆され、開示され、伝達される、という事ではないかと思います※3。[H]だけの「プロトコル的な/表層的なコミュニケーション」ではなく、生きたものや生きた世界の奥に示される[B]同士のコミュニケーション/[B]の層で起きるコミュニケーションが重要というか。

で、重要なのはこういったメッセージのやりとりに中身[B]があるかどうか([B:実体]であって[B:空っぽ]でないか)だけでなく、その中身[B]と背景[B]を示唆するシーケンスの連なりがどのように行われているのか、ではないかと思います(生体同士のコミュニケーションにおいては、中身[B]を示唆するシーケンスよりも、背景[B]を示唆するシーケンス、というのの方がもしかしたら重要かもです。まあ最終的には背景[B]も中身[B]って事なのかもですが)。

そういうところで重要なのは言語/非言語という切り分けでないと思います。それらはもはや対立概念ではなくなるというか(オマケの[H]が付くか付かないかだけの違いになるというか)。どのような示唆[H]の連想的な連鎖から、どのような出来事[B]の顕われが示されたのか、そしてその[B]が実際に起きたり空っぽだったりしたのか、あるいはまた、そのように示された出来事に対して、その受け手からどういう反応[B]が行われたのか、というところが重要なのかなーと※2。

※2:ベイトソンの例示した、卵子をラクダの毛でつついたことで卵割が始まった、というのは、ある生体(卵子)が、ラクダの毛が示した[H]に対して、卵割つまりその内在的エネルギー/内在的機構をリリースするという反応[B]を行った、と捉えられると思います。しかし実際にはラクダの毛は精子ではなかったので、精子のように[H:突入時の刺激][B:遺伝子]のカタチを取らず、[H:突入時の刺激][B:空っぽ]という事だった、と。これはある意味では、卵子は[H:突入時の刺激]を受けたことで、その背景(?)を信頼できるものだと連想して、卵割を開始した、という事だと思います。

※3:奥にある[B]ってのは、表面的や表層的なシーケンスの背景、理由、奥行にあるシーケンスって事です。生きもののコミュニケーションの1つのあり方は、表面的なシーケンスのやり取りの中に、奥行きにあるシーケンスを読み取り、次はその奥行きにあるシーケンスへのメッセージを含めた形でやり取りを重ね、シーケンスによってはさらにその奥行きを読み取り。。。という形で深化するものだと思っています(あるいはそこからさらに変容していくなど)。もちろん表面的なシーケンスのやり取りで終わるコミュニケーションも数多くあると思いますが、俺はそういった「奥行きへのアプローチ、あるいは奥行きの開示」というプロセスは、生きもののコミュニケーションにおいて重要なものではないのか、と想像しています(*`・ω・)ゞ※4

※4:そしてこういったコミュニケーションは「分からなさに(対して)開かれて」いなければ成就しない、というのが俺の予想です。まだなぜかを上手く伝えられないですが、こういった事が、俺が定義のようなものを拒んできた理由のように感じます。一つ理由かなと思うのが、定義などをして分かった気になると、シーケンス(の奥行き)を追わなくなる、って事すね。その意味で、(シーケンスに対して)探索的であること、というのは何か重要な事であるように感じます。身体的な表現でいえば、探索的であることと、(コミュニケーションに対して)受容的であること、起こってくることがこちらに来る経路を閉ざさないこと、は近しいと思います。そしてまた、定義を用いることと、頑なであること(受容的でないこと)、起こってくることに蓋をすること、も近しいようにも思います。

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