2014年8月18日 - 80

ハビリテーション

俺は何かやるときは「ハビリテーション」という捉え方を良くしています。

療育とか訳されるようですが、使い方は多分俺オリジナルで、

「リ-ハビリテーション(原義は再び-住まう)」から「リ」を取って、「住まう(という行動)」という意味で使ってます。

「住まう」というと定住とかっぽいですが、この言葉的にはそうではなく、

「何かの世界(分野、技能、現実)で闊達に動けるようになる事」です。

だから自分が使っている意味でハビリテーションを訳すなら、

「何かの世界で闊達に動けるようになるための行動と経験の積み重ね」て感じですかね。

 

ところで、俺は器用だったりセンスがある人ではなく、一応努力する人です。

ただし全般的に不器用なので、何か技能習得などをする時は失敗の数と、失敗をしている期間がかなり多くなります。

が、不器用なら不器用なりに、先を見据えつつ延々と努力していると、少しずつ先に進み始めます。

俺が実際にハビリテーションと呼んでいるのは、そのプロセスを意識的にやる事です。

 

まず何か技能を修得する時などに、そこに「その技能の世界がある」と考えます。

例えば、料理の世界とか、プログラムの世界とか、野球の世界とか。

で、極めて長期的なスパンで山登りに取り組むような感じで、その世界の中で闊達に動く練習をします。

めちゃくちゃ下手でもいいので、目の前の課題をクリアするどうこうではなく、

その世界に一歩ずつ歩を進めていくイメージでひたすら取り組んでいく感じです。

 

こうすると迷いが劇的に減ります。

どういう事かというと、目の前の課題ができなかった、だからテンションダウンみたいな話にはなりません。

目の前ではなく先の世界を見据えているので、その世界に歩を進めていく作業を再び開始するだけになります。

なんで、何かが出来なくても俺の場合はテンションはあんま下がりません。修正してリトライするだけです。

(あんまりキツいと後でまとめて凹んでますが。)

 

それといいところはもう1つあって、現在の自分の技能レベルとかが激烈低くても、

今は歩き始めだから下手は当然、黙々と歩き続ければそのうち景色も開けるだろ、的に捉えられます。

例えば、高い崖に今すぐ上れなくても全然OKだと。

だけど上ろうとする事だけなら今すぐ出来る。じゃあ上ろうとしてみようかと。

それを続ければいつか高い崖も上れるようになるし、

「崖を上るという世界」で闊達に動けるようになるんじゃね?みたいな感じです。

ちなみに俺の不器用レベル(手先に限らず全般的に)はかなり高いので、

他人が普通に出来ることが、高めな崖だったりするのですが。

 

また、ハビリテーションについては、劇的に住まえるレベルが上がる事は無い、と俺は捉えてます。

自分とその世界との関係が劇的に深まることはそうそうないと言うか。

なんで「昨日より1%その世界にコミットできたらOK」と考えています。

まあ俺的には「昨日より今日自分の人生にコミットする」のが日々のプチ目標なので、それをやってる感じです。

 

あとおそらくハビリテーションの真髄は、

住まうための行動と経験を重ねることによってその世界で闊達に動けるようになる事ではなく、

闊達に動けるためのあれこれを試み続けるなかで様々な失敗や成功を重ねていき、

その経験の中に自分なりの様々な指針を見出し、実現していくプロセスと、

その中で様々な事を自分自身の事としてコミット出来るレベルが少しずつ深まっていく事じゃなかろうかと思っています。

働き方 / 暮らし方


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