2016年3月4日 - 80
メモ:示唆について、他
■明示について1
明示しない事によって息づくものがある。
あるいは明示するという所作がその佇まいや息づきを打ち壊してしまうという事がある。
そういう訳で、基本的に明示的に語る事は、どうしてもそういうものを語るのに失敗しやすい。
喧噪のみで沈黙を表現するのも、沈黙に喧噪を持ち込んでなお沈黙を維持するのも、ちと出来たもんじゃない。
例えば打ち棄てられた場所を、打ち棄てられていない言葉で語る事はちと出来たもんじゃない。
そういう語ったり伝えたりするのが厄介なものがある(別に必要がなければそれは語られなくて構わない)。
しかし俺はそういったものが好きだ。
■明示について2
明示的な意味の世界は信仰と統計によって作られる。
統計は「今までそうだったから、AはA」って事だ。信仰については俺はこの言い方が好きだ。
ありがたいことに私の狂気は君達の神が保証してくれるというわけだ よろしい ならば私も問おう 君らの神の正気は一体どこの誰が保障してくれるのだね?
■示唆について
情報が持つベクトルは、その方向上に別の情報を示唆する。
大きな木の後ろに何があるかは俺は分からないが、何かがあってもおかしくない。
なぜならそこには、何かがあってもおかしくない空間が示唆されているからだ。
あるいは、奥行きとは示唆の事だ。
見えている情報だけでなく、その情報のベクトルが示す先を奥行きとするなら、
それは見えている情報のみから示唆される情報だ。
奥行きは、必然的に見えない。見えないからそれは奥行きとなる。
視差は別個の2つの視覚情報だが、それが統合される事によって空間と奥行きとが示唆される。
無限は示唆の先にあるし、それは現れた瞬間に、つまり見えた瞬間に、示唆ではなくなる。
あるいはまた新たな示唆が提示される。情報が多重であればあるほど、示唆は強いものになる。
(もしかしたら多重過ぎると逆に示唆が弱くなる事もあるかもしれないが、それについては考えた事がない。)
■明示と示唆について
明示はいえばカテゴリの世界だ。それは言えば囲いを設ける。
また示唆はベクトルの世界だ。それは言えば囲いの先を指し示す。
安易な明示は示唆を失わせるので、つまり囲いの先を遮断するので、俺はあまり好きではない。
■予期の外の世界について
世界が予期のうちから外れた時に、姿を現す世界がある。
それはわびさび的なスタティックな場合もあるし、風が吹くようなダイナミックな場合もある。
様々な場合があるが、それを予期のうちに語る事はおそらく出来ない。
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