2016年11月18日 - 80
土について その1(認識の土について)
ざっくりイメージで、生きようとする生き物群をある空間の中に入れて生態系的にしといたら、生態系が落ち着くが停止するまで、生き物群は生きようとして一部は生き残り一部は死ぬと思う(生態系っていっても色々あるだろけどね)。この場所で、生き残るのと死ぬのは、生きようとした結果として起きる。
それらは同じ地面の上での、同じようなアクションに基づく、異なる結果であって、言えば同じ様相に起因している。と、俺には見える。例えば生き残るのがポジティブで、死ぬのがネガティブとするなら、それらは同じ所に根差している。そこで結果であるポジティブさ、あるいはネガティブさを切り取って、片方を称揚し片方を忌避するのは認識としてめっちゃ浅い、あるいは片手落ち、あるいはちょい閉ざされていると俺は思う。
閉ざされているというか、それらが起きた場所の半分から自らを閉ざして、ポジティブさあるいはネガティブさという結果しか見ていない事になるというか。
それらは同じ所で起きたのだろうし、それが起きた場所、起きた土をしっかり認識しないと、生も死も、ポジティブもネガティブも分からないのではと思う。
俺の言い方になるが、例えば花が咲くようなことはそういう土の上で起こる、と思う(これについてはどこかでちゃんと書きたい)。そういう土の上で起こることに俺は関わっていたいし、土の上で起こることの(土の上で起こることへの)感覚っつうか手触りみたいなのを失いたくはないなと思う。
< [前] 働く事について その2 |
土について その2(花が咲く場所について) [次] >
コメントを残す