2017年2月19日 - 80

メモ:生きものがいる場所について その2

■意味と作用とメッセージについて

メッセージを伝達する様式は、ざっくりいって2つあるように感じる。

一つは例えば、メールを送る事、言葉で何かを示す事など。これは、ある参照表/約束事によって描かれる系の姿を通じて、何かを相手に伝達しようとする試みに思える。これはいってみれば、何が相手に伝わるかは(いわゆる言外のメッセージを除けば)、(その約束事が明示的だと感じられている程度に)明示的に分かっている。これは言い換えれば、約束事の世界の中でのやり取り、意味を持つメッセージのやり取りだ。

もう一つは例えば、相手を無視する事、食べ物を与える事など。わかりやすくノンバーバルコミュニケーションでもいい。これは参照表/約束事によって描かれる系の姿を経由していない。いえば、何が相手に伝わるかは明示的には分からない。これは言い換えれば、約束事の世界の外でのやり取り、「参照表のうちにマッピングされる意味」を持たないメッセージのやり取りだ。これを例えば、意味は示さないが作用を引き起こし得るメッセージ、という事にする※1。

※1:後者が意味は示さないが作用を引き起こし得るメッセージ、とするなら、前者は意味も作用も示すメッセージなんだろうか、それとも意味は示すが作用は示さないメッセージなんだろうか。この辺はまた後で追ってみる。

ところで、例えば神経伝達物質が神経間を通う時、それはおそらく何かの参照表にマッピングされるような「意味」は持っていない。だけどそれは受容体に受容されるなどして、なんらかの作用を引き起こす。

仮に約束事を取り払って※2、世界のありように臨んだ時に、俺はだけど、世界が示すのは、そのような「作用を引き起こし得るが意味を示さないメッセージ」であるように感じる。メッセージ、というのが何か言語的っぽいなら、可能性でもアフォーダンスでもなんでもいい。あるいは作用それ自体、といってもいいかもしれない※3。

※2:ここ後でちゃんと書くけど、ざっくりいうと、きっと、約束事もそのありようから生じた/作られたのだ。ただ約束事が生じたのと同時に世界は描かれ始めたのかもしれない。ここの順番間違えると色々間違えそうw

※3:それによって引き起こされ得る可能性を伝え得る作用、というか。

別にそれは難しい事じゃなく、俺が好きな近所の霊園で、冬に雑草が育っているのとか日光が木や石に当たっているのとか、春に桜が咲いて風が吹くと花びらがぱらぱら舞うのとか、そんなのw

それらは明示的な言葉ではないが、世界のありようを俺らに現す、あるいはそれ自体が世界のありようとして、俺らに対して世界が、あるいはそれらがどのような姿であるかを(それ自体の姿と、それが持つ情報ベクトルの折り重なりによって)提示している。

別にそれらに伝えようという意志や意図はないかもしれない(てか多分ないだろう)が、俺らはそれが起きる場にいて、その現象に巻き込まれ、参照表のうちに位置づけを持たない、メッセージ/可能性/アフォーダンス/作用、を提示され、そしてそれはおそらく、否も応もなく伝えられる(なぜなら俺らも、ざっくりといってしまえば「認識を行う」現象なのだから。現象同士が同じ領域/レイヤーにいて、作用を相互にもたらすのは、いってしまえばおそらくは自然な/自明な事だ※4)。

※4:そのような領域/レイヤーに、おそらく俺らはいて、何かメッセージを交わし、生き、死ぬのだろうと俺は思う。もちここも多層構造だったり深層があったりして、より深いレイヤーというのがあるかもとは思う。ただ俺らがいるのは/生きて死ぬのは、いえばそういう領域であって、何らかの参照表の項目としてであったり、何らかの参照表の項目の上でではないだろ??、と俺は思う。

メモ / 日々


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