2017年4月26日 - 80

メモ:構造/構成について その5

俺らの認識や学習の基点は、何らかの公理の様に、確かだと(その「ゲーム」内で)保証されているようなものではおそらくはない。あるいは、ゲームにはルールを取り決める者がいる、という点で、ゲームは必ず(ルールを取り決める者たちの世界という)ゲームの外部を持つ、とするなら、俺らの認識はおそらくそのようなあり方では形成されていない。

それは、ルールも無く世界で出会う、無数の出来事の重なりRedundancyのうちに見出される、おそらく確かではなかろうかと思われる、無数の事象の姿を無数の基点として形成されているのではないかって気がする。例えば風景に重なりや奥行きがある事、生きものがいてこちらの行動に対して応答する事がある事、ものが動き生じたり消えたりする事、等々※1。

※1:しかしそれらには確たる保証は無い。その意味で現実と夢や幻は変わらないんじゃねと思う。個人的な事をいえば、現実と夢や幻を分けるものがあるとしたら、現実なるものへの感情的な思い入れだと思うがね。ここに起きている事/ここに起きた事を、夢や幻のように扱ってなるものか、っていう強烈な思いっつうか。

そしてまた、そのような事象の重なりのうちに見出される抽象的な奥行き/出来事のあり方/動き※2に対して、例えば「季節」「生」「死」の様な呼ばれ方が成される事があるのだろうと俺は思う※3※4。

※2:まだちゃんと臨めるわけじゃないけど、俺らが「出会う」ってのは、この(抽象的な)出来事のあり方に出会うって事かもねって気がする。それが(確かなものでないにしろ)どのように形成されているのか、いえばどこから来ているのかを俺は知りたい。

※3:それとまた一つ思うのは、そこにある抽象的な出来事のあり方というのは、無数のものの重なりから形成されているのか、それともそのあり方があるから無数のものが重なり織り成されているのかって事だ。単純に考えれば前者なんだろうが、いわゆる自己創発的な組織ってのは前者から発生したとしても、ある程度自己組織化が進んだら、それ以降は後者のように振る舞う気もする。そして自己組織化が潰える時に無数のものに戻っていくというか。

※4:こういうとこからいくと、アニミズムってのはある意味、ものの姿とその奥行きにちゃんと関わろうとしてるような感もある。ものを要素に還元せず、そこに何らかの心性を見出して関わろうとしてるっつうか。もののうちに息づきや、事物のパターンの真髄※5を見ようとしてるっつうか。

※5:真髄とか大仰かもだけど他にいい方が見つからなかったっす(;・∀・)俺的に身近な例だと、安心出来る場所の安心感とか、うろうろしたくなる町の奥行き感とかそんな感じwそしてまた例えば、山や森や石にそういう〇〇感を見いだして、その〇〇感のさらに奥に心性を感じるような感性ってのはあると俺は思います。そういうのはもしかしたら、その環境の無数の情報、それらの情報ベクトルの構造/構成と積、さらにそれとコミュニケーティブな世界観の積、みたいな感じなのかもしんない。よく分からんけどな(;・∀・)

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