2017年4月30日 - 80

メモ:生命について その1

例えば血は酸素を乗せた細胞の流れらしいが、それが流出すると、生体は機能不全になるらしい(その辺のメカニズムはよく知らん)。これは例えば、体から赤い液体が流出するという事が、ただ単にそれが起きるという事ではなく、生体の機能不全の危機を示すという事でもある。いってみれば、その現象は、生体にとってクリティカルな意味を持っている。

ニューロンとかでも(俺は別に詳しくはないが)、そこでシナプス発火が起きたり化学物質が受け渡されるという事は、そこで電気的な現象が起きたという事だけでなく、おそらくニューラルネットワークにとっては、重み付けのなされた負荷が生じ、それによって、処理される電気の様相/意味の様相が変わるという事になる(繰り返すけどこの辺詳しくないから正確じゃなかったらすまん。時間あったら調べるっす(;・∀・))。

単なる物理的でしかないと捉えられる現象が、しかし、生体にとってみれば、それは生体にとっての意味を持つ現象になる。それは生体の生きる系のうちで機能を帯びた現象になる。そしておそらく、生体にとっては、生体の生きる系しかないのだ。ただそこで生起する現象が、生体の生きる姿にどの程度クリティカルに関わる現象なのか、というグラデーションがあるのだと思う。その生体の生きる世界にどれ程クリティカルに関わるのか、という事で、無数の現象の、その生体にとっての様相は変わるのだ。そこで、意味と現象は生体にとって不可分のものとなっている。ここで起きている事それ自体が、生体の生きる系にとってクリティカルであればある程、それは生体にとっての意味の重みを強く帯びるのだ。俺らが住まっているのは、おそらくそのような姿の系なのだ。

そして生命とは、極めて雑に、プリミティブに(あるいは多くの視座を欠いて)いうならば、自己の生きる姿のうちに生きられる世界の、無数の繋がり合った現象のうちに、その生体にとっての生きた機能/意味をグラデーションの様に掴み取り、その機能/意味の世界をダイナミックに生きようとするものなのだ。

そしてまた、俺らが住む社会はそれに比べて、ある意味では圧倒的に複雑であったり、あるいは認識基準の外部化などが用意に持ち込まれたりする事で、俺らはそこで、生命としての機能/意味/現象の姿から、これも雑な言い方になってしまうが、疎外されやすい状態になっているのだろうと俺は思う※1。

※1:この辺は安易に、疎外されやすい→良くない、みたいな話ではけして無いと思う。そこには他者や責任の問題が絡んでくるだろうから。ただし、認識基準の外部化の要請に対してのみは、俺はノーと言っておきます。


雑にいえば、上のような意味で、おそらく生命は、個々の生命が生きる世界の主体であり※2、名前の無い欲求の根源であり※3、そのはじまりに(自己認識にとっての)闇※4あるいは不確かさを抱えたものなのだ。そしてその主体の主体性は、おそらく確保/保証されていないのだ。そしておそらくコミュニケーションとは、生体が生きる世界のうちに透けて見て取れる抽象的で不確実かもしれないもののありように向かって、しかしそれをある程度信じる試みのうちに、投企される伝達行為なのだろうと思う。

※2:環世界っぽい(/ω\)イヤン

※3:この欲求と、社会的な要請の齟齬あるいは葛藤あるいはあわいのうちに、社会的な生体は住まっているんだろうなーって感じだ。だから社会的な存在の確実性って、とても脆いものなんだろうなって印象っす。なんらかの事が起きて葛藤が崩れた時に、ころっと社会的ではない姿/行動に傾いてしまう事もあるというか。じゃあそれって特別かっていうと、特別じゃないと俺は思うけどね。個々の生体が生きる事と社会的であるという事はおそらく完全には合致しないので、全ての社会的な生体は(いつでも崩れ得る)葛藤を抱えているはず、というのが俺予想。そしてまた、その葛藤があるから深まる認識ってのもあるんだろうけどね。無数の社会的な経験を経るうちで、今までの自分の価値系じゃダメだなーって思って、自分で元々感じていた欲求からは思いもつかなかった何かに応えないとって思うようになるとかさ。

※4:暗くなって掴めないって事で、闇属性で悪いとかではないすwただある意味この不確かさ、分からなさってのは、不安の根源の一端かもとは感じる。意識的な認識ってのは明証性を求めたがる感じだと思うんで、分からないと困っちゃうんだろうと。

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