2017年10月20日 - 80

メモ:より基底的なものについて

物理で心理を説明しよう、みたいな話があるが、心理こそが基底的なのではないのか。物理だの数理だの論理だのは、物だの数だの論だのを、俺らがどう認識するかの体系であって、いえば、その基底には、物だの数だの論だのを認識する俺らの認識や心理があるのではないのか※1。

※1:ここで心「理」っていっちゃうと違うんだろうけどさ。心理というよりも、俺らの認識(や、おそらく深いレベルの感情/情動)の姿というか。

基底的な領域とは、物やルールがどうこうではなく、認識、心、感覚、感触なるものにおいて、(何が妥当かそうでないか、ですらなく)何が起きていると感じているか、ではないのか(そして、何が起きていないと感じているか、はぎりぎり入るかもしれないし、もうそれは入らないかもしれない)。

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